「おかえり呉線プロジェクト」。
「おかえり呉線プロジェクト」。
6年前の2011年3/11に発生した東日本大震災によって亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。
また、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、まだまだ先の見えない中でがんばっていらっしゃるみなさんの生活の一刻も早い復興を願っております。
さて、秋田にとって震災後に初めて見えた一筋の希望の光、49日ぶりに復活した東京からの秋田新幹線の一番列車こまち115号にみんなで手を振った「4.29さくらこまち115おかえりなさいプロジェクト」、みなさんあの時の気持ち、覚えているでしょうか。
そして49日後の4月29日、東京からの1番列車「こまち115号」が、東京駅を朝6:40分に出発をしました。そのわずか5日前に、このサイトの管理者がつぶやいた「ツイッター」をきっかけに、こまち115号を「おかえりこまち!」として多くの方が迎えたのでした。
E3系こまちは、その後、よりスピードが早い茜色のE6系スーパーこまちに少しずつその「安心」という使命を受け渡し、2014年3月14日、白地にピンク色のラインをあしらった、県民自慢のE3系「こまち」。あなたとふるさとをつないでくれたE3系「こまち」。そして災禍を乗り越えて東京と秋田とを結んでくれたE3系「こまち」は、17年間の秋田新幹線運用を離れたのでした。
2017年3月25日(土) 秋田駅発7:00(早い!)
大曲駅7時32分発・角館駅7時43分発・田沢湖駅7時57分発・上野駅11時38分着
みなさん、久しぶりに、あのピンクのE3系こまちに、おかえり!の気持ちで、沿線から手を振ってみませんか?
各駅はもちろんですが、四ツ小屋のあの田んぼで、中仙のあの赤い橋の上で、46号線のあの森の駅で・・・。
また、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、まだまだ先の見えない中でがんばっていらっしゃるみなさんの生活の一刻も早い復興を願っております。
さて、まもなくあの震災から5年となります。
秋田にとって震災後に初めて見えた一筋の希望の光、49日ぶりに復活した東京からの秋田新幹線の一番列車こまち115号にみんなで手を振った「4.29さくらこまち115おかえりなさいプロジェクト」の映像の一部が、久しぶりにTV放送に載ることになりました。
(残念ながら秋田県内ローカルチャンネルです)
2016年3月10日 午後8:54~ 秋田朝日放送(AAB)
「絆のかたち」 http://www.aab-tv.co.jp/pc/kizuna/
おかえりこまち115 Youtube動画 http://youtu.be/XGTkNn8YxCE
当たり前の生活は失って初めて気づくものだ…ということを、私たちはあの時に強く実感したはずなのに、わずか5年でなんだか当たり前の生活が当たり前になっていませんか?
自分自身にも問いかけつつの番組になったかな、と思います。
よろしかったらご覧ください。
あの震災から49日後の4/29、東京~秋田間が全通しました。その東京発の復活一番列車は「こまち115号」をみんなでたくさんの感謝、たくさんの支援、たくさんの気持ちをこめて笑顔のウェーブでつなごうと行われたのが、この「4.29さくらこまち115おかえりなさいプロジェクト」でした。
2011.4.29午前6:40、こまち115は東京駅から静かに走り始めました。今はなきピンクがイメージカラーのE3系です。
駅でも沿線でもたくさんの人が、こまち115を迎えました。
秋田駅でもたくさんの「おかえりなさい」。
そしてもはや伝説のアナウンスと言ってもいい、レジェンド車掌の誇らしげかつ感謝の気持ちに溢れた敬礼。
先日、とあるJR東日本関係者の方が「こまち115は私たちの会社のDNAとなりました」とおっしゃってくださいました。今年の入社式でもこの映像が流れたとかなんとか。
こまちに向けた沿線からの感謝の気持ちは、きちんとJR東日本のみなさんに届いているし、今でもその気持ちを大切にしながら、地域に生きる鉄道事業者としてがんばってくれてるかと思うと、あの日が単なる歓迎イベントとは少し違う大切な一日だったと、改めて感じられてココロが少しホッとするのです。
さぁまた新しい1年が始まりますね!